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なんかの本でSONY技術者がMD開発の舞台裏を語ってた
CDからほぼ劣化なしでダビングできるという点にレコード業界側から待ったがかかり
SONY技術者とレコード業界担当者とが話し合って、
「ギリギリ原音と違うことが分かるくらいに劣化するATRAC圧縮率」の落とし所を探った
という話だった。この規格はダメだと思った”
- 暇人\(^o^)/速報 : まさか数年でMDが消滅するとは思わなかった - ライブドアブログPosted on June 1, 2012 via reText log with 1,027 notes
Source: retextlog
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電子行政の例に照らし合わせると、「いつでもどこでも住民票が取れる」といったことを目的にするのは、真の情報化ではありません。これは単なる電算化です。
そうではなく、そもそも住民票というのは、公的機関や金融機関など公共性の高い機関での手続きのために必要ということが多い。であれば、A区に住む住民がB区役所でA区の住民票を取得して目的の機関に提出する、というようなことではなく、A区役所と提出先の機関が直接やり取りできるようなシステムにするべきであって、公的機関同士の連絡作業に、わざわざ当の住民を煩わせる必要はないはずだ。
Posted on June 1, 2012 via otsune tumblr まとめサイト 画像保管庫Q with 187 notes
Source: diamond.jp
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日本がインドネシアに慰安婦への補償を提案して断られたことがある。
スエノ社会大臣は事件を焚きつけた日本人達(共産党・朝日新聞・日弁連ら)に対して
日弁連の高木健一弁護士らは1993年にインドネシアを訪れ、地元紙に
「補償のために日本からやってきた。元慰安婦は名乗り出て欲しい」という
内容の広告を出した。
しかし日弁連の行為は当のインドネシア人から批判が相次ぎ、
さらにインドネシア慰安婦の証言で、
「慰安婦募集をしていたのは実は朝鮮人の売春業者である」ことが発覚。
次の声明を発表した。
1.インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはない。
2.しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをして
お金を払いたいというので戴くが、元慰安婦個人には渡さず、
女性の福祉や保健事業のために使う。
3.日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。
これにジャマル・アリ会長の評価も以下のようなものだった。
「ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦(インド
ネシアに居た日本兵は約2万人だった)がいたというのか。どうして
インドネシアのよいところを映さない。こんな番組、両国の友好に
何の役にも立たない。
我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
『お金をくれ』などとは、360年間、わが国を支配したオランダに
だって要求しない。(「インドネシア・タイムス」ジャマル・アリ会長)」
歴史とプライド。 金など要求しない。 これが民度の差である。
しかし自分たちでは何もせずに日本に頼り切りで独立させて貰っただけの
韓国は、そんな常識すら理解できずに「とにかく日本は金を払え」としか
考えられないのだ。Posted on June 1, 2012 via "L9G" - Landscape, Quote, and the Girls - with 264 notes
Source: l9g
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選挙の度に、選挙カーのがなり立てる連呼がうるさい。地方選挙、とくに市町村会議員選挙のレベルになると、なにしろ候補者が多いから、暴力的なまでの騒々しさになる。
私は物心ついた頃から、選挙カーの 「連呼」 が不思議でたまらなかった。 「○山○夫でございます。ナニトゾ、ナニトゾよろしくお願いいたします」 と繰り返されて、「はい、わかりました。あなたに一票投じましょう」 なんていう有権者がどこにいるというのだ?
投票日の前日に、「×野×子です。あと一歩のところまで来ております」 と哀願されても、「それはアンタの一方的な都合でしょ」 と思うだけで、「じゃあ、その 『あと一歩』 を俺が埋めてやろうか」 なんて決して考えない。
それどころか、世の中の大勢は選挙カーの連呼はうるさい、迷惑としか考えていない。それなのに、なんでまた愚かしいことを繰り返すのか? どうして政策を具体的に訴えないのか。
そう思っていたら、ある日の TBS ラジオの 永六輔氏の番組で、「あれは、法律的に候補者の名前の連呼しかできないことになっているのだ」 という話を聞いた。
そんなアホらしい法律があるのかと思ったが、このページの初出の平成 14年には、インターネットにもなかなかそれらしい情報がなかった。しかしさすがに 5年も経てばかなり進化し、「法庫」 というサイトが見つかった。その中の公職選挙法の重要部分を引用しよう。
———————————————————
(車上の選挙運動の禁止)
第141条の3 何人も、第141条(自動車、船舶及び拡声機の使用)の規定により選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない。ただし、停止した自動車の上において選挙運動のための演説をすること及び第140条の2第1項(連呼行為の禁止)ただし書の規定により自動車の上において選挙運動のための連呼行為をすることは、この限りでない。(上記 2~3行目、理解の便宜のため、tak-shonai の判断で太字斜体文字に変えた)
———————————————————法律特有のわかりにくい文章の要点をかいつまんで説明すると、「選挙カーでは本来選挙運動をしちゃいけないのだが、停止中の演説と、走行中の連呼だけはやってもいいよ」 ということなのだ。
これでもまわりくどくてうっとうしいから、さらにごくフツーの言い廻しにすれば、「選挙カーでは、停車中の演説と、走行中の連呼以外はしちゃいけない」 ということになる。ああ、馬鹿馬鹿しい。
それにしても、「選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない」 という文言は、スゴイ。日本一シュールな法律条文だと思う。この条文を作ったお役人の頭の中を、一度のぞいてみたいものだ 。
さらに、第201条の13 では、政党などのキャンペーンカーでも、選挙期間中は、走行中は連呼だけと決められている。これについては、長くなるから割愛する。
あちこちのブログなどで、選挙運動経験者とおぼしき人が、「走行中は演説なんかしても、どうせ最後まで聞いてもらえないのだからしょうがないだろう。だから、連呼だけと決められているのは当然だ」 みたいなことを、訳知り顔で (顔は見えないが) 書いているのを散見する。
こうしたことを言う人は、想像力の欠如した人である。「連呼」 でなければ 「演説」 しかないと思っている。それ以外にも、気の利いた短いキャッチフレーズで訴えるとか、いろいろあるではないか。ところが、公選法ではそれもしちゃいけないということになっている。走行中に認められているのは、あくまでも 「連呼だけ」 なのだ。
ただ実際には、短いキャッチフレーズをいろいろ交えている人が多い。つまり現場では、お上の見逃してくれる限界すれすれのところの勝負になる。このあたりが、因習的選挙プロの出番だ。選挙プロにとっては、馬鹿馬鹿しい公選法は、メシの種なのである。
さらに本質的なことを言えば、「走行中は演説してもどうせ最後まで聞いてもらえない」 からといって、連呼しか許さないというのは、法律の余計なお世話である。演説したきゃ、すればいいじゃないか。本来、候補者の自由に任せて何の弊害もないことを、法律で禁じてなんの意味があるのだ。
というようなわけでわかったことは、公選法というのは、「これこれのことはしちゃいけない」 という (法律としてごくフツーの) コンセプトで作られているのではないということである。驚くべきことに、「原則的に、選挙運動はしてはいけない」 というのが大前提なのだ。その上で、「ただし、これとこれはしてもいい」 という構造で成り立っているのである。だから、やたらと面倒で複雑で、馬鹿馬鹿しい。
そして、走行中は連呼のみが許されるという規定は、多くの候補者の 「政策なんてチンケなものを訴えるよりも、ひたすら名前を連呼したい」 という迷信的メンタリティに迎合しているのだろう。それ以外に、そんな無意味な規定をする意味がないもの。
彼らにとっては、「政策」 なんて、確かに 「チンケ」 なものにすぎないのだろうし、それに、チンケな政策を言い過ぎたら、後でやぶへびになりかねない。ウグイス嬢も、昔からのやり方を踏襲して 「プロの連呼」 というものを売り物にしているに違いない。
候補者にとっては、自分と直接間接に結びついた組織票さえ固めれば、選挙運動なんてほとんど終わったも同様である。選挙カーでの巡回は、組織票を投じてくれる人たちの地元への 「形式的ご挨拶」 なのだ。だから、政策なんて訴えてもしょうがない。
なまじ選挙カー走行中に政策を訴えてもいいなんてことにすると、浮動票を投じる有権者にまで余計なアピールをしてしまうから、票が読みにくくなる。浮動票がどっと動くと、改革派が有利になるに決まっているから、投票率なんて低い方がいい。低く抑えるためには、選挙運動を馬鹿馬鹿しいものにしておく方が都合がいい。とまあ、こういう理屈なのだろう。
要するに公職選挙法は、守旧派が有利に選挙を進めるための防護壁であり、改革派にとっては高い障壁として機能しているわけだ。なにしろ、インターネットも使っちゃいけないってんだから。
選挙カーは昔から嫌いです。鹿児島市議選挙とか、入れ替わり立ち替わりうるさかった。
身勝手な大人に見えました。Posted on May 26, 2012 via PETAPETA with 317 notes
Source: petapeta
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選挙の度に、選挙カーのがなり立てる連呼がうるさい。地方選挙、とくに市町村会議員選挙のレベルになると、なにしろ候補者が多いから、暴力的なまでの騒々しさになる。
私は物心ついた頃から、選挙カーの 「連呼」 が不思議でたまらなかった。 「○山○夫でございます。ナニトゾ、ナニトゾよろしくお願いいたします」 と繰り返されて、「はい、わかりました。あなたに一票投じましょう」 なんていう有権者がどこにいるというのだ?
投票日の前日に、「×野×子です。あと一歩のところまで来ております」 と哀願されても、「それはアンタの一方的な都合でしょ」 と思うだけで、「じゃあ、その 『あと一歩』 を俺が埋めてやろうか」 なんて決して考えない。
それどころか、世の中の大勢は選挙カーの連呼はうるさい、迷惑としか考えていない。それなのに、なんでまた愚かしいことを繰り返すのか? どうして政策を具体的に訴えないのか。
そう思っていたら、ある日の TBS ラジオの 永六輔氏の番組で、「あれは、法律的に候補者の名前の連呼しかできないことになっているのだ」 という話を聞いた。
そんなアホらしい法律があるのかと思ったが、このページの初出の平成 14年には、インターネットにもなかなかそれらしい情報がなかった。しかしさすがに 5年も経てばかなり進化し、「法庫」 というサイトが見つかった。その中の公職選挙法の重要部分を引用しよう。
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(車上の選挙運動の禁止)
第141条の3 何人も、第141条(自動車、船舶及び拡声機の使用)の規定により選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない。ただし、停止した自動車の上において選挙運動のための演説をすること及び第140条の2第1項(連呼行為の禁止)ただし書の規定により自動車の上において選挙運動のための連呼行為をすることは、この限りでない。(上記 2~3行目、理解の便宜のため、tak-shonai の判断で太字斜体文字に変えた)
———————————————————法律特有のわかりにくい文章の要点をかいつまんで説明すると、「選挙カーでは本来選挙運動をしちゃいけないのだが、停止中の演説と、走行中の連呼だけはやってもいいよ」 ということなのだ。
これでもまわりくどくてうっとうしいから、さらにごくフツーの言い廻しにすれば、「選挙カーでは、停車中の演説と、走行中の連呼以外はしちゃいけない」 ということになる。ああ、馬鹿馬鹿しい。
それにしても、「選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない」 という文言は、スゴイ。日本一シュールな法律条文だと思う。この条文を作ったお役人の頭の中を、一度のぞいてみたいものだ 。
さらに、第201条の13 では、政党などのキャンペーンカーでも、選挙期間中は、走行中は連呼だけと決められている。これについては、長くなるから割愛する。
あちこちのブログなどで、選挙運動経験者とおぼしき人が、「走行中は演説なんかしても、どうせ最後まで聞いてもらえないのだからしょうがないだろう。だから、連呼だけと決められているのは当然だ」 みたいなことを、訳知り顔で (顔は見えないが) 書いているのを散見する。
こうしたことを言う人は、想像力の欠如した人である。「連呼」 でなければ 「演説」 しかないと思っている。それ以外にも、気の利いた短いキャッチフレーズで訴えるとか、いろいろあるではないか。ところが、公選法ではそれもしちゃいけないということになっている。走行中に認められているのは、あくまでも 「連呼だけ」 なのだ。
ただ実際には、短いキャッチフレーズをいろいろ交えている人が多い。つまり現場では、お上の見逃してくれる限界すれすれのところの勝負になる。このあたりが、因習的選挙プロの出番だ。選挙プロにとっては、馬鹿馬鹿しい公選法は、メシの種なのである。
さらに本質的なことを言えば、「走行中は演説してもどうせ最後まで聞いてもらえない」 からといって、連呼しか許さないというのは、法律の余計なお世話である。演説したきゃ、すればいいじゃないか。本来、候補者の自由に任せて何の弊害もないことを、法律で禁じてなんの意味があるのだ。
というようなわけでわかったことは、公選法というのは、「これこれのことはしちゃいけない」 という (法律としてごくフツーの) コンセプトで作られているのではないということである。驚くべきことに、「原則的に、選挙運動はしてはいけない」 というのが大前提なのだ。その上で、「ただし、これとこれはしてもいい」 という構造で成り立っているのである。だから、やたらと面倒で複雑で、馬鹿馬鹿しい。
そして、走行中は連呼のみが許されるという規定は、多くの候補者の 「政策なんてチンケなものを訴えるよりも、ひたすら名前を連呼したい」 という迷信的メンタリティに迎合しているのだろう。それ以外に、そんな無意味な規定をする意味がないもの。
彼らにとっては、「政策」 なんて、確かに 「チンケ」 なものにすぎないのだろうし、それに、チンケな政策を言い過ぎたら、後でやぶへびになりかねない。ウグイス嬢も、昔からのやり方を踏襲して 「プロの連呼」 というものを売り物にしているに違いない。
候補者にとっては、自分と直接間接に結びついた組織票さえ固めれば、選挙運動なんてほとんど終わったも同様である。選挙カーでの巡回は、組織票を投じてくれる人たちの地元への 「形式的ご挨拶」 なのだ。だから、政策なんて訴えてもしょうがない。
なまじ選挙カー走行中に政策を訴えてもいいなんてことにすると、浮動票を投じる有権者にまで余計なアピールをしてしまうから、票が読みにくくなる。浮動票がどっと動くと、改革派が有利になるに決まっているから、投票率なんて低い方がいい。低く抑えるためには、選挙運動を馬鹿馬鹿しいものにしておく方が都合がいい。とまあ、こういう理屈なのだろう。
要するに公職選挙法は、守旧派が有利に選挙を進めるための防護壁であり、改革派にとっては高い障壁として機能しているわけだ。なにしろ、インターネットも使っちゃいけないってんだから。
選挙カーの 「連呼」 は 「迷信」 から生じているらしい (via petapeta) (via d-d-d) (via rogu) (via tajimaya)2009-08-21
(via gkojax-text) (via yaruo) (via etecoo)選挙カーは昔から嫌いです。鹿児島市議選挙とか、入れ替わり立ち替わりうるさかった。
Posted on May 25, 2012 via PETAPETA with 317 notes
Source: petapeta
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「問題発見」のための心構え
1.「問題」は「何が問題なのか」を理解している人にしか発見できない。
2.「問題」は「問題があるはずだ」と思って探さないと発見できない。
3.「問題」は「想像力」がないと発見できない。(知識がないと想像できない)
4.「問題」は遠近高低前後左右上下表裏に視点を移動させないと発見できない。
5.「問題」は「ほぼ」「ほとんど」「など」というあいまいな言葉の影に隠れている。
6.「問題」は測定し数値化し比較しないと見えてこない。
7.「問題」は水面下にもっと大きな「問題」を隠している。
8.「問題」は解決した瞬間に次の「問題」を引き起こす。Posted on May 23, 2012 via Aerogenerator with 503 notes
Source: aerogenerator
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いいかげんな知識で議論する人の方が、声が大きくて白黒はっきりしているので皆に受けいれられやすい。知識が深く濃くなるにつれ物事がそう割り切れるものばかりでないことがわかってくると、一般受けするように簡単に言えなくなる
Posted on May 23, 2012 via 303 See Other with 1,429 notes
Source: rpm99
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人間は、蓄積がモノを言う。その道10年の奴と、今期から手を出しました、では勝負にならない。
新卒と、ベテランに同じ戦力は求めない。
歩いてきた道は嘘をつかないし、知っている道は早足で抜けることが出来る。落ちた落とし穴は2度目以降は警戒する。
これは、「貯めてる奴が、貯めてる分野では強い」という当たり前の話であって、じゃあ若者は勝負にならないかというとそういう話ではない。
「貯める気がある奴が強い」
若者だろうが、今まで蓄積が無かろうが「貯める気があればどこまでも蓄積されていく」。
教える側からすれば、
貯める気のある奴には、突っ込んでモノを教えるし、考え方を教える。
貯める気の無い奴には、近道と結果だけを出す方法しか教えない。
教える方だってコストが高いんだから、蓄積する気の無い奴を相手にしてられないわけだ。
教えてもらう側もこれは一緒だ。
教えてもらう側になった時は「蓄積する気がある/ない」を明確にするのがいい。
蓄積する必要がなければ、単純な手順だけ覚えてショートカットすればいい。
蓄積する必要があれば、仕組みと考え方を理解しないといけない。
それが明確なら教える方のコストだって明確だ。覚える気のない相手に、懇切丁寧に教える必要もなくなる。
(大事な事なので角度を変えて2回書きました)
世の中の、やる事、やれる事の量はもう、とんでもないので。
すべてを覚える事は不可能だ。
ただし、何かをやろうとしたら、自分が出来ない事を出来る人の世話には必ずなる。
自分にない蓄積をしている人はリスペクトしたい。Posted on May 23, 2012 via today's clips with 3,081 notes
Source: tatsukii
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「俺が不快だからやめろ」と言い出すのはまだ良心的な方で、現実の運用としては「みんなが不快に思うから」「社会が許さないから」「子供のためを思って」などと大概は理由と責任を外部にアウトソーシングする。
Posted on April 22, 2012 via k32ru!@タンブラー with 148 notes
Source: twitter.com
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フォークランド紛争の勝利によってサッチャーは国民の絶大な支持を得た。
イギリス国民は自信を回復し、英国病を克服する原動力となった。
しかし、それでもイギリス国民は自らの近現代史に何となく自信を持てないでいた。
原因は当時の歴史教育にあった。
サッチャー改革の柱の1つに教育改革がある。
当時の教育行政は完全なる地方分権で、日本でいう教育委員会が実権を握っていた。
教育委員会には教職員組合が巣食い、組合主導の教育が行われていた。
ロンドン市ではトロツキストの過激な組合が教育を牛耳り、その結果、イギリスの植民地支配がいかに残虐であったのかをグロテスクなイラストで描いた教科書が横行していた。
サッチャーは3期目の1988年からの教育改革で教育の責任が国にあることを示し、教育界から組合の影響力を排除した。
歴史教育も先人たちの苦闘があって今日があるとする内容に改められた。イギリス国民は次第に贖罪意識を脱し、自信を回復していった。Posted on April 22, 2012 via Doubtful bird's Tumblr with 84 notes
Source: carbondoubt